オリエントと地中海世界 第一章

14.パルティアの建国と滅亡

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>>セレウコス朝シリア

 

アレクサンドロス大王が没した後、ディアドコイ戦争が起こり、

彼の築いた帝国は3つに分裂したのでした。

 

アンティゴノス朝マケドニア

セレウコス朝シリア

プトレマイオス朝エジプト

 

の3つです。このうち、アジアの領土は全て、セレウコス朝が受け継ぐことになります。

国家はヘレニズム国家でイラン高原を含む、西アジアの大半が領土です。

 

ところで、世界史には良く「◯◯朝」という表現が出てきますが、

どういう意味かご存知でしょうか?

 

これは、支配者の家名だと思ってもらえれば大丈夫です。

国自体はずっと続くけれども、支配者が変わる、という場合は「~朝」となります。

朝廷、という意味です。

 

例えばエジプトでは、アケメネス朝エジプトや、プトレマイオス朝エジプト、がありますが、

エジプト、という国そのものは存続していますね。アケメネス家が支配するエジプト、

プトレマイオス家が支配するエジプト、というわけです。

 

これとは逆に、中国を例にとると、

中国は異民族の侵入により、国の制度や境界、国名なども全部変わっていきます。

こういう場合は、「~朝」とはなりません。国名が変わりますので、隋、唐、明、といった具合です。

 

話を戻しましょう。

アジアのほとんどの領土がセレウコス朝シリアになった、というところですね。

アンティゴノス朝マケドニアと、プトレマイオス朝エジプトについては、比較的安定して続きました。

 

しかし、セレウコス朝シリアは違いました。

 

 

>>セレウコス朝シリアの分裂

前3世紀なかば、アム川上流のギリシア人が独立しバクトリアを建国します。

さらに、遊牧イラン人の族長アルサケスに率いられたイラン系遊牧民が独立し、

カスピ海南東にパルティアを建国します。

※地図

 

バクトリア、パルティアがそれぞれどのような国だったのか見てみましょう。

 

 

>>バクトリア(BC255~BC139)の特徴

バクトリアは現在のイラン北東部の一部と、アフガニスタンなどを含む領域のことです。

※地図

 

最古のオアシス都市のひとつとされ、ゾロアスター教の中心地でもありました。

ゾロアスター教は前回も解説しましたが、簡単におさらい。

 

基本的な考え方は、善悪二元論。善の神アフラ・マズダと、悪の神アーリマンです。

この二人(?)の神が常に争いを続けているのがこの世。

最終的には善の神が勝利して、この世界は救われる。

 

かなりざっくりしてますがこんな感じです。

この考え方は、ユダヤ教やキリスト教に影響を与えることになります。

 

このゾロアスターがバクトリア人だった、とする説があるのです。

まあ、この説には諸説あるので本当かどうかはわからないのですが、

少なくとも、バクトリアがゾロアスター教の中心地であったことは間違いありません。

 

で、ちょっとややこしいのですが、先程からバクトリアと言ってますが、

これは、バクトリア地方、という意味も含んでいまして、この分裂して出来た王国は

グレコ・バクトリア王国と言ったりします。

 

一般的にはそこまで詳細にやる必要はないと思いますので、単に「バクトリア」とします。

 

このバクトリアは代表的なヘレニズム国家でもありました。

ヘレニズム、とは古代オリエントとギリシアの文化が融合した文化のことを言います。

 

さて、どうしてこの2つの文化は融合したと思いますか?

 

これは、アレクサンドロスの東方遠征によって、オリエントの文化にギリシアがもたらされた結果なのです。

こういう部分を考えると世界史は結構楽しい。

 

世界史ではなく日本史ですが、私の好きな話にこんなのがあります。

 

縄文時代から弥生時代に掛けてのグループの構成には、リーダーというものは存在しなかった。

しかし、弥生時代になり、稲作が始まると余剰作物が生まれるようになった。

この余剰作物を蓄える、というこういが貧富の差を生むことになり、ここから階級が生まれた。

 

もちろん、世界中どこでも同じような話はあると思いますが、

日本の貧富の始まりがこんなところにあるなんて、とかなり衝撃を感じたのです。

 

貧富の差が無いというのはどういうことか、というのを話すと長くなるのですが、

まとめないことがコンセプトなのでまとめずに話しましょう。

 

要はその日暮らしの生活なのです。

獲物を捕まえるにしても、何か食べ物を採取するにしても全員で協力したほうがいいですよね。

で、その日生きられる分捕まえて、食べればその日はおしまい。

 

若干の蓄えはあったと思いますが、無くなったら終わりですから、やはり毎日狩りをする。

生きること、がまず第一なので、これを達成するためには協力する必要があったのです。

 

こういう経済を獲得経済と呼びます。この時代にはまだ貧富の差は無かった。

 

ところが、です。

 

稲作が伝わると、毎日の食べ物にそれほど困らなくなります。

生産経済の始まりです。

コメを作る生活です。(実際には違いますが説明をわかりやすくするために”コメ”とします)

 

コメは肉なんかよりずっと長く保存も出来るし、狩猟労働に比べたらかなり楽です。

コメは逃げませんから、追いかけ回す必要もありません。

 

要するに、今までのエネルギーを全部コメを作るために使ったら、もの凄く効率が良かったんですね。

余った生産物をとっておけば、仮に不作になっても困らなくなります。

 

さらに、この余剰生産物を狙って、村同士の争いも始まるようになる。

そうすると、戦いに専念する人が出てくる。戦いに専念して守ってやるから、コメを食わせろ、と。

平安時代、貴族の警護についた武士のようではありませんか。

 

さらにさらに、戦いは出来ないけど、占いが出来る。神の声が聞ける、という人が現れる。

占ってやるから、コメを食わせろ、と。代表として思い浮かぶのは卑弥呼ですね。

 

自らが食うために、食べ物を生産しなくても良くなってくる、というのは実に面白いですよね。

 

さすがに長くなりすぎたので、元に戻しましょうか。

何が言いたかったのかというと、関係無いようなもの事が面白いように繋がってるよ、ということです。

いま私達が色々な職業につけるのも、稲作が伝わったから、ということです。

 

ヘレニズム文化が出来たのは、アレクサンドロス大王が戦争したから、というわけですね。

 

バクトリアは最終的に、スキタイ系のトハラ人に滅ぼされます。

 

>>パルティア(BC248~BC224)の特徴

それでは、話を古代オリエントに戻しましょう。

バクトリアの次は、パルティアです。

パルティア、と聞いて【安息】と出てきたあなた。

世界史がそこそこ好きではありませんか?

パルティアは中国名を【安息】といいます。読み方はそのまま「あんそく」です。

中国の「史記」にその名前が刻まれています。

セレウコス朝シリアが分裂し、ギリシア人が建国したのがバクトリア。

遊牧イラン人の族長アルサケスに率いられたイラン系遊牧民が独立し、

カスピ海南東に建国したのが、パルティアです。

 

アルサケスが支配したのでアルサケス朝ともいいます。

前2世紀以降強国へと成長したパルティアは、セレウコス朝の滅亡後、

メソポタミア地方でローマと争うこととなります。

 

>>ミトラダテス1世

パルティアの領土を拡大したのがミトラダテス1世です。

パルティア王国第6代の王であるミトラダテス1世はバクトリアに攻撃を仕掛け、

メディア地方を支配下におくことによってセレウコス朝の中核都市である、バビロニアへの拡大も視野に入れるほどでした。

 

西方ではセレウコス朝の都市である、セレウキアを占領。

領土は飛躍的に拡大し、やがてイラン世界の覇を唱えるほどになるのです。

 

しかし、この領土拡大が別の問題を引き起こします。

 

領土を拡大するということは、多くの異民族を支配下におくということです。

中には協力的な人々もいるでしょうし、反感を持っている人もいるでしょう。

こうした様々な人種や、考え方をもった人々を統率するというのは実に難しい。

 

だから、世の中から争い事は無くならない。

 

ミトラダテス1世の死後、その事業を引き継いだのがミトラダテス2世。

ミトラダテス2世は、領土拡大を更に進め都をクテシフォンに移します。

※地図

 

 

ミトラダテス2世の頃には、メソポタミア地方からインダス川までを支配する大国となり、

ミトラダテス2世はイラン地方の覇者、という意味の「バシレイオス・バシレイオン」を名乗ります。

これは、諸王の王、という意味です。この頃がパルティアの全盛期。

 

 

>>ローマとの戦争。

ミトラダテス2世が死亡すると、その後継者争いが発生します。

内紛が勃発しているさなか、さらにローマからも攻撃を受けます。

このローマとパルティアの争いは、実に8回にも及ぶ長い戦いとなるのです。

 

第一次パルティア戦争に登場するのは、クラッスス。

カエサル・ポンペイウス・クラッスス、の三頭政治で有名なあのクラッススです。

 

この頃は三頭政治の真っ只中。

スーパーカリスマであるカエサル、軍事力に名高いポンペイウスに比べ、

クラッススは軍事的な功績が少なかったのです。

 

そこで、自分も功績をあげようとクラッススは、パルティアへの遠征を企画します。

 

元老院は反対したのですが、カエサルとポンペイウスは賛成をしたため、

元老院もしぶしぶ納得し、パルティア遠征が承認されます。

ローマとパルティアはまだ国境が確定しておらず、争いが絶えなかったのでしょう。

 

ところで、この3人の関係を知っておくと、この辺りがさらに面白いかも知れません。

 

クラッススは騎士階級で、大富豪でした。一族は法務官や執政官を輩出する家柄。

その富豪っぷりはローマの大部分を所有するほど。さらにカエサルのスポンサーでもありました。

 

カエサルは言わずと知れたカリスマですね。

三頭政治を始める際、ポンペイウスとクラッススの仲裁をしたのが、実はカエサルなのです。

 

そしてポンペイウス。クラッススとはものすごく仲が悪いのです。

三頭政治、と聞くと3人で協力して政治を行ったようなイメージがありますが、

実際は元老院との対立で、この三人が対抗勢力の代表となっていただけ。

 

そう考えると、元老院が反対したパルティア遠征に、カエサルとポンペイウスが賛成をしたのも、

元老院への対抗手段であったとも考えられますし、この3人の関係を考えると色々な思惑が

ありそうで、何だか考えてしまいますね。

 

余談ですが、ポンペイウスの妻はカエサルの娘、ユリアです。

 

 

>>カルラエの戦い

この第一次パルティア戦争は「カルラエの戦い」と呼ばれ、

ローマ軍が大敗を喫した戦いのうちのひとつです。

 

どうして大敗を喫することになったのか?

それは、装備の違いにありました。

 

ローマ軍は重装歩兵軍が中心。

一方でパルティア軍は弓兵を中心とした軽騎兵軍団。

さらに悪いことに、ローマ軍は熱射病でかなり弱っていたのです。

 

いざ戦いが始まると、パルティア軍はとにかく矢を撃ちまくります。

パルティアと言えば弓矢。そう、パルティアンショットです。

矢のせいでローマ軍は近づくことすら出来ません。

 

矢が尽きるまでひたすら耐え、そこから反撃しようと考えたローマ軍。

しかし、そこはパルティア軍も考えています。大量のストックをもっていたため、

なかなか矢が尽きることはありません。

 

さらに悪いことに、パルティア軍の弓矢は改良されており、ローマ軍の盾を突き抜けてくる。

対するローマ軍も弓矢で反撃するものの、射程距離が届かない。

これではもうどうしようもありません。

 

クラッススの奮戦も及ばず、クラッススは敗北。。

この戦いの後、殺害されてしまいます。

 

クラッススが死亡したこと、さらにポンペイウスの妻のユリア(カエサルの娘)が死亡したことも

重なり、第一回三頭政治は崩壊してしまいます。

 

 

>>パルティアの滅亡

その後8回にわたり、ローマとの戦争を繰り返す中でパルティアは混乱を増し、

全土で反乱が頻発するようになります。

224年にアルタバヌス4世が殺害され、その後、子であるアルタバスデスがクテシフォンで処刑されると、

パルティアは完全に滅亡します。

 

この後、建国されるのがササン朝です。

 

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