先史時代とは何か
教科書には以下のように記述してあります。
人類が出現してから文字を発明して歴史に記録を残すようになるまで。
人類史の99%を占めるこの時代を先史時代、と呼ぶ。
一般的にはこの解釈で全く問題ありません。
厳密な定義付けですと、先史時代は「宇宙の誕生以降」とされています。
しかしながら、「宇宙の誕生」や「ビッグバン」から始めてしまうと、先史時代を137億年分勉強しなくてはならず、これだと歴史というよりも地学になってしまいますので、「世界史」を学習をする上では人類が出現してからが先史時代、と考えれば問題ありません。
文字に記録されてはじめて「歴史」となる
人類が出現してから、文字に記録されるまでの間を「先史時代」と呼び、文字に記録されてから以降の時代を「歴史」と呼びます。
実は、わたし達が「歴史」として記録を見られるようになってから現代までの時間は、人類が誕生してからたったの1%です。
つまり世界史においては、現代までにいたるまで、はじめの99%は文字で歴史が記録されていない、ということです。
受験勉強のために世界史をやらないといけないけど、範囲が広くて大変、と考えているあなた。こう考えるとちょっとは気が楽になるかも?
ちなみに、文字での記録が残るまでの99%を学びたければ、地学を学ぶことになります。
要するに、私達が学ぶ世界史というのは文字で記録された歴史を学ぶということです。
現代社会は文字での記録が残っていますので歴史時代と呼びます。
歴史が記録される以前(先)のことだから、「先史時代」と呼ぶのです。
先史時代は一定では無い
先史時代は、文字を発明して歴史に記録を残すまで、ということはここまでに学びました。
ここで一つ疑問が残ります。文字は世界で同時に誕生したのか?同時に誕生したのではないなら、ひとくくりに先史時代はいつからいつまで、と言えないのではないか。
そのとおり、先史時代は一定ではありません。文字の発明には地域差があるからです。
最も古い歴史時代の始まりは、あなたもよくご存知の世界四大文明です。念のため「世界四大文明」とは以下の4つのことです。
- メソポタミア文明
- インダス文明
- 黄河文明
- エジプト文明
例外のインカ文明
つまり、いつから歴史時代が始まったか?いつから文字による記録が残っているのか?ということになります。ただし、これは一般的な話であって、例外もあります。
それが、インカ文明です。
インカ文明は、文字による記録は無く、キープ(結縄)とよばれる方法で記録を残しています。
キープとは、結び目の数や形によって情報を伝達する仕組みです。下の画像を見てください。
一本の縄に何個の結び目があるか、さらに、どんな結び方なのか、によって記録されている情報が違います。お金のやりとりの記録に使われたのではないかと、推測されています。
文字ではありませんが、キープによる記録は残っていますので、この時代を先史時代と呼ぶのは若干抵抗がありますし、もしかしたら、キープ以外にも文字ではない記録方法がなにかしらあるかもしれません。
世界には、文字以外の方法で記録されている歴史がまだまだあると思います。
世界史というよりは考古学に近くなると思いますが、ロマンを感じますね。
日本の歴史時代の始まり
では、少し話がずれますが、日本の歴史時代はいつ頃始まったと思いますか?
だいたい、弥生(やよい)時代から、古墳(こふん)時代にかけて、といわれています。
魏志倭人伝や漢書地理志などの文献には日本(倭国)が登場しますが、これは中国の文献ですから、日本の歴史時代とはなりません。
人類の進化と進化論
進化とはどういうことか?
人類は猿人→旧人→新人の順に進化しました。
進化しました、とさらっと言いましたが、進化とは一体どういうことでしょうか?
進化論といえば、ダーウィンです。イギリスの博物学者で、1809年に生まれました。
1800年代、日本は徳川斉昭(とくがわなりあき)が将軍の頃です。
1804年にはナポレオンがフランス皇帝になりました。
そんな時代に発表されたのが進化論です。
しかし、発表当時は全く受け入れられることはありませんでした。
現代では、人類が猿から進化した、というのは当然のこととして受け入れられています。
ナポレオンが活躍し徳川斉昭が生きた時代、進化論は、ばかげた理論だったのです。
それを象徴する風刺画がこれです。有名なので見たことがあるかも知れません。
どう見ても完全に馬鹿にしてますねこの画像。
「ダーウィンってやつが、人間は猿から進化したなんて馬鹿げたことをいってやがる。」
「じゃあ、あいつはこんな風に進化したのか?」
なんて悪口が聞こえてくるようです。
人間は神によってつくられた
ではこの時代、人間はどうやって生まれたと思われていたのでしょうか?
1800年代初頭、人間は神によって創造されたというのが一般的な説でした。
つまり、最初から人間として生まれてきた、ということです。
ざっくり言えば、人間はアダムとイヴの子孫である、というのがこの時代の一般的な認識です。
アダムとイヴはどうやって生まれたのかといえば、神によってつくられました。
だから、ダーウィンの説を信じる人は少なかったのです。
この時代のヨーロッパは、教会権力がかなり強い時代で、教会の言うことが正しかったのです。
教会は聖書に書いてあることが人類の正しい歴史、ということで民衆を指導しています。
もしもダーウィンの言うことが正しいとなると、聖書が間違っていることになってしまいます。
そうなると、非常に困りますね。聖書が嘘、ということに繋がりかねません。
だから、教会としてはこれを認めることはありませんでしたし、民衆も教会が言うことが正しいと思っていましたから、上記のようなバカにした風刺画が誕生したのです。
現代でも、生物は神によって創造されたとする宗教もあります。
キリスト教でも一部の宗派は、いまでもそう信じています。
ただし、科学が万能ということではありませんので、もしかしたら200年後には、いま私達が信じていることもひっくり返ってるかも知れません。
今では私達が常識と考えていることでも、最初はもの凄くぶっ飛んだ説だったわけですから。
ヒトとは何か?
直立歩行をする哺乳類がヒト
「ヒト」の定義とは何でしょうか?何をもってして、私達はヒトなのでしょうか?
これは簡単で、直立二足歩行をするのが「ヒト」と定義されます。
哺乳類で直立二足歩行をするのはヒトだけです。
直立二足歩行をすることで、頭を大きくし脳みそを重くすることが出来るようになったのです。
脳みそが大きくなるということは、記憶する力や何かを考えだす力が発達するということです。
だからこそ人類は文化や文明を築きあげることが出来たのです。
ということは、ある日突然犬や猫が二足歩行を始めた場合、進化を続ければ人間並みの知能を持つことになるかも知れませんね。
猿人の誕生
今と同じような直立二足歩行を特徴とする人類が誕生したのは、500万年前のアフリカにおいて、とされています。最初に出現した人類は猿人です。
アウストラロピテクスやホモ=ハビリスなどがこれにあたります。
アウストラロピテクスの脳の重量は400~500グラム。身長は130cmくらい。
簡単な打製石器を使っていたものもいるようです。
ジャワ原人
次に登場するのが原人です。これが約180万年前。
地質年代でいうと更新世初期。代表的なものがジャワ原人とか北京原人です。
打製石器を改良して使用し、簡単な言葉も話したと言われています。
打製石器で代表的なのが下の画像。
握斧(あくふ)とかハンドアックスと呼ばれるもの。柄のない斧ですね。
ジャワ原人というくらいですから、ジャワ島で発見されています。
世界史が苦手だった私は、なぜかジャワ原人は中国で発見された、と思い込んでいました。
北京原人は、中国の北京。ジャワ原人は中国の田舎のジャワというところで発見された、と勝手に思い込んでいたんですね。
世界地図が頭に入っていれば、ジャワ島の存在もわかりますし、中国にジャワなんて地名が無いこともわかります。
そのくらい苦手だったということです。
北京原人は中国。ジャワ原人はジャワ島です。皆さんはお間違いなく。
せっかくなので地図で確認しておきましょう。
ジャワ島 ワイド地図
ジャワ島 ズーム地図
ジャワ島はインドネシアです。
このジャワ島が、実は世界で最大の人口を擁する「島」です(2020年現在)
その数、1億3,700万。日本もそれなりに多いのですが、日本はひとつの島ではありません。
島単体で見ると、このジャワ島が世界最大の人口を抱えています。
人口密度も当然ながら高く、981人/km²です。
1平方キロメートルあたり981人いる、ということです。
狭いと言われている日本が343人/km²(北海道含む)です。
北海道を含めてしまうので、首都圏などに絞ってみると、大体千葉県や福岡県と同じくらいです。
ちなみに東京だけで見ると、5,541人/km²。 さすが東京です。
はるか昔に原人が誕生した島が、いま世界最大の人口を抱える島になっている。
こういうところに私は歴史のつながりを感じます。
ジャワ原人の発見者はオランダ人のデュボワ。
頭蓋骨や、臼歯、左大腿骨(太ももの骨)を発掘し、直立歩行も確認されました。
脳容積900グラムくらいで、現代人の3分の2にあたります。
この人がデュボワです。オランダ軍の軍医。このころのインドネシアはオランダ領。
北京原人
北京原人が発見された場所は、当然北京です。
北京郊外の周口店というところで発見されて、ほぼ完全な頭蓋骨が発見されています。
脳容積は850~1200グラムで、火を使用していたことが確認出来ます。
地図で確認しましょう。大体の場所を覚えておきましょう。
北京はこの先の歴史でも重要な地区です。
北京 ワイド地図
北京 ズーム地図
こうして地図多く使うのは、世界史の勉強で地図がものすごく重要だからです。
世界史が得意、という人は、世界地図もちゃんと頭に入っていますし、逆を言えば、世界地図をちゃんと理解すると世界史も理解しやすくなります。
いきなり位置関係を覚えようとしなくても大丈夫です。
何度も地図を出します。そのうち大体わかるようになります。
話を戻します。
火が使われた、と言いましたが、これはどうやって確認するかというと、炭が見つかるかどうかで判断します。
火を使って何かを焼けば炭になります。これを「炭化」と言います。
炭化したものが見つかれば火が使用されていた、ということになるのです。
自然発火の場合とは明らかに違う炭化が見つかれば、それが証拠というわけです。
これらの原人が生きていた時代、地球は氷期(氷河期)を迎えますが、この厳しい環境を生き抜いて、アフリカからヨーロッパ、さらに東アジア、南アジアにまで生息域を広げていきます。
旧人の出現
そして20万年前になると旧人が出現します。
代表格はネアンデルタール人。世界史を勉強していれば必ず出てきますが、発見された場所、ネアンデルタールがどこかご存知でしょうか?
これはドイツなのです。ドイツのネアンデルタールで発見されたからネアンデルタール人。
ネアンデルタール人の発見は、1856年のことです。
地図で場所を確認しましょう。
ヨーロッパに関しては、きっちり国の場所と位置関係を覚えておくと良いです。
日本から遥か遠い位置ですが、学校で教わる「世界史」はヨーロッパの歴史が大半です。
ネアンデルタール ワイド地図
ネアンデルタール ズーム地図
ちなみに、ネアンデルタール博物館というのがネアンデルタールにあります。リンクを貼っておきます。
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ネアンデルタール博物館
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ネアンデルタール人の脳容積は1500グラム前後で、これは我々現代人よりも多いです。
彼らは洞穴に住み、埋葬の習慣がありました。
埋葬の習慣があるということは、「死」というものを理解しているということです。
これは、死者に対する悲しみや、敬意をもっているということであり、高い精神性を持っていたと推測できます。
これは一種の宗教的風習です。宗教というのは、かなり抽象的な考えです。
神の存在や魂の存在を信じ、見えないものを信じる、という考えは他の動物にはありません。
つまり、それだけ思考力が発達してきているということです。
クロマニョン人の登場
そして4万年前。地質年代は更新世末期。新人と呼ばれる人類が登場します。
これが我々人類の直接の祖先とされています。現生人類です。
代表的なものはクロマニョン人と周口店上洞人です。
周口店上洞人は北京原人が発見された北京郊外の周口店にある竜骨山の頂上付近にある洞窟から発見されました。周口店の上にある洞穴から発見されたから周口店上洞人です。
周口店の場所
クロマニョン人は1868年に南フランスで発見。3万年前に出現とされています。
クロマニョン洞窟の場所
クロマニョン人は最初に発見されたのは南フランスですが、その後各地で同型の骨が発見されてますので、他の地域でもクロマニョン人が発見されていることになります。
クロマニョン人といえば、アルタミラの壁画という有名な壁画があります。
1879年に発見され、1985年に世界遺産に指定されました。
アルタミラの場所を確認しましょう。スペインの北です。
世界史が苦手な方は、スペイン、と聞いても場所がよくわからないと思いますが、大丈夫です。
私も最初はそうでした。そのうち、スペインがどこにあるかすぐにわかるようになります。
そうなると世界史もグッと面白くなりますよ。
スペイン アルタミラ洞窟
スペイン、フランス、ポルトガルは非常に重要な地域ですね。
私はもう、この地図を見るだけでなんだかワクワクしてきます。
さて、壁画も見ておきましょう。
特に野牛の絵が多いのが特徴です。イノシシやトナカイの絵もあります。
この壁画が発見されたのは1879年。
発見したのは、この土地の領主でありアマチュア考古学者の、マルセリーノ・デ・サウトゥオラ侯爵の娘マリアで当時12歳。
世紀の大発見なのですが、発表当初は学界では全く信じてもらえず、捏造(作り物)とされる始末。
結局、侯爵生存中に認められることはなく、死後15年経ってやっと認められたというものです。
せっかく見つけたのに嘘つき呼ばわりされてはたまったものでは無いですが、先述のダーウィンもそうであるように、新しい発見にはこういう事も結構起こりがちなのです。
現在は外気に触れて劣化がひどくなる、という理由から非公開となっています。
ラスコーの壁画
もう一つ有名なのがラスコーの洞穴壁画。1940年に洞穴で遊んでいた子供が発見しました。
ここには人間の手形などもたくさんあって、顔料で色付けされたりしています。
まずはラスコーの場所を確認しましょう。フランス中南部です。
フランス・ラスコー
ナショナルジオグラフィックに良い画像がありました。その大きさに結構圧倒されます。
ここの壁画は遠くの物は小さく、近くのものは大きく描く、という遠近法が使われています。
こちらも1979年に世界遺産に指定されています。
現在はアルタミラと同様非公開です。観光客の二酸化炭素が原因で急速に劣化してしまったらしいのです。
こういった壁画は他にも様々な地域で発見されていますが、その多くは劣化を防ぐために非公開とされています。
これらの絵は狩猟の成功を祈る呪術的行為として描かれたとされています。
旧石器時代
クロマニョン人を始めとする新人は、やがてアメリカ大陸にも住み着くようになります。
日本でも浜北人という新人が1961年に静岡県の浜北で発見されています。
新人は、剥片石器をさらに進化させて骨角器というものを使っていました。
骨で作った道具ですね。石と違って、骨の方が加工が容易です。
こんな風に釣り針や槍のようなものも作られました。
アクセサリーなんかも作っていたようです。
さて、アメリカ大陸に渡ったと言いましたが、どうやって渡ったのでしょうか。
アメリカ大陸が世界史上に新大陸として登場するのは大航海時代ですが、それよりも遥か遥か昔からアメリカ大陸に人類は住んでいたのです。
実は、この頃は海面が今よりもかなり下にあったとされています。
その為、大陸同士は陸地でつながっているところが多かったのです。
小さな舟を使って、近くに見える島に移動するなんてこともあったようです。
このように、打製石器や骨角器を使用し、狩猟・採集生活を営んでいた時代を、旧石器時代と呼びます。
猿人以降の長期にわたる人類文化の第一段階の始まりです。