農耕・牧畜の開始-人類の大変革
氷期が終わり、海面が上昇する
約1万年前に氷期(ひょうき)が終わります。氷期が終わると何が起こるでしょうか?
氷期の頃は海面がかなり下にあったとされています。現在の海面よりも140メートルも下にあった時期もありました。140メートルというと大体40階建てのビルの高さに相当します。
東京タワーの展望台も150メートルの高さなので、氷期にくらべると、東京タワー半分くらい海面が上昇している、ということです。
ということは、いまは海に沈んでしまっている陸地も、氷期の頃は海の上にあったわけで、歩いて移動することが可能でした。
遠洋航海技術がなかった頃の人類は、陸地が繋がっていたからこそ世界中に広がることが出来たのです。ちなみに遠洋航海技術、とは陸地が見えない状態での航海術です。陸地が見えなければ方向もわからなくなりますし、波や潮の流れも関係してきますので、通常の航海術よりも高い技術が必要となります。
このように、氷期の頃はいまとは違った環境だったわけですが、この氷期が終わりを迎えます。
農耕、牧畜の開始
氷期が終わる、ということは、海面が上昇する、ということになります。
海面が上昇するということは、陸地が切り離されることを意味し、氷期が終わるということは、当然気温が上昇していることを意味します。
これまで寒さが影響して育たなかった植物が、様々な地域で育つようになると、それを餌とする動物の生息域も広がります。動物の生息域が広がると、それを食料とする人類の生息域も広がります。
つまり、氷期が終わる、という一連の流れは以下のことが起きることを意味します。
- 温度が上昇
- 氷期が終わる
- 植物が育つ
- 動物が移動
- 人類も移動
さらに、陸地が切り離されるということは、それぞれの地域でそれぞれの環境に合わせた進化が始まるということになりますので、各地域の進化に差が生まれます。
暖かい地域と、寒い地域では環境への適応の仕方も変わってきます。
その適応の変化として人類史上最も重要なことが起こります。
それは、農耕・牧畜の開始です。
獲得経済から生産経済へ
狩猟採集生活を獲得経済と呼び、農耕・牧畜による経済を生産経済と呼びます。
氷期が終わり、人類は、生産経済への大変革を成し遂げたのです。
もしも、生産経済への変化がなければ、人類は未だに日々の食料を追いかけるという狩猟採集生活をしていなくてはなりません。
日々、生きることに精一杯です。
今日のご飯は何にしようかなーなんてことは言ってられないのです。食べなきゃ死にます。
なんでもいいから取らなきゃいけないですし、日々生きるのに精一杯ですから、人口を増やすこともできません。
現代は、当然ながら、自分たちが食べる食料を人類が生産しています。野生の動物のように、食べ物がなくて困る、ということはありません。
つまり、この生産経済への移行こそが現代社会の基礎の基礎、ということです。
さらに、生産経済が始まると、狩猟採集の為に移動生活をしなくても良くなりますから人類は集団生活を始めます。
今までは毎日獲物を探しまわっていた日々ですが、そうではなくなるのです。
畑をたがやして種を蒔いてある程度ほったらかす。暇な時間も出来ます。
そうすると、作物の刈り取りを効率良くやろうと考え出します。刈り取ったものを運ぶ道具を作ったり、調理するための土器をつくったりします。
こうして生まれたのが石斧(せきふ、いしおの)、石皿(いしざら)などの磨製石器です。
ここから新石器時代の始まりです。
効率化、というのは言ってしまえば楽をしたいという欲望です。
人類は常に楽をしたいものだし、自分が得することをしたいものです。
この考えをもっておくと、歴史を学ぶ上で非常に有効です。
乾地農法と略奪農法
初期の農耕・牧畜生活を詳しくみてみましょう。
最初は、麦の栽培、やぎ・羊・牛などの飼育から始まりました。地方は西アジアから東地中海域が中心です。
雨水に頼る乾地農法で、さらに肥料を使わない略奪農法(りゃくだつのうほう)でした。
乾燥している地面を使うとそういうイメージではありません。
雨水に頼る農法が乾地農法という呼び名、ということで覚えてください。
略奪農法とは何かというと、肥料などを土地にまかずに可能な限り作物をつくりまくって(連作)、作物が育たなくなったら次の耕作地を作って、またそこで作物を育てる、という農法です。
しかし略奪農法では土地が痩せてしまい、そのうち作物は育たなくなる、という欠点があるのです。
土地が痩せるとは?
なぜ略奪農法では作物が育たなくなるのか?それは土地が痩せてしまうからです。
では、土地が痩せるとはどういうことなのでしょうか?
植物の養分は、土の中の微生物が色々なものを分解して作っています。
微生物が分解、つまり、微生物のフンが植物の栄養なのです。
では微生物は何を食べるのかというと、枯れた植物であったり動物の死骸を食べるのです。
要するに、枯れた植物や動物の死骸を微生物が食べて、そのフンが土に栄養をあたえ、その土の栄養を吸収して、植物が育つ、というイメージです。
少しイメージしづらいかもしれません。
例えば、森を見てみましょう。森はどうしてほったからしていても木が育っていくのでしょうか。
それは、枯れた木や落ち葉や虫の死骸、動物の死骸が栄養となっているからです。
枯れたり死んだりした植物や動物が、次の世代の栄養になっているわけですね。
こうしたサイクルを繰り返すことで、土は常に栄養がある状態を保てるのです。
食料を生産して出来たものを収穫するということは、このサイクルを壊すということです。
本来ならば、枯れて土の栄養になるはずのものを奪いとってしまうことになります。
土の栄養をたっぷり含んだ米、野菜、果物は、放っておけばまた土の栄養になるはずのもの。
これを収穫して食べる。そうすると、土地に栄養が不足してきますね。
これが土地が痩せる、ということです。そして、土の栄養を奪うから略奪農法という名前なのです。
例えば、このトマトには、土の栄養がたっぷり入っています。
このトマトを収穫せずに、そのまま放っておけば、土に落ちてまた栄養になります。
しかし、このトマトを収穫してしまえば、土の栄養はどんどんなくなってしまうわけです。
乾地・略奪農法から灌漑農法(かんがいのうほう)へ
略奪農法を続けていると、栄養を作り出す微生物がいなくなり作物が育たなくなります。
せっかく作った耕地も使えなくなるので、農耕時代初期の頃は頻繁に耕地を移動する必要がありました。
そのため、初期の頃は集落が大規模になることはありませんでした。
狩猟採集生活よりはかなりマシですが、土の栄養を略奪しつつ移動を繰り返していたわけです。
狩猟生活はいいけど、やっぱり移動は大変。しかも畑を毎回つくらないといけない。
どうすれば自分たちが楽になるか、を考え出します。
洪水で栄えたエジプト
エジブトはナイルのたまものという言葉を聞いたことがあるかも知れません。
ギリシアの歴史家ヘロドトスの言葉ですね。エジプトは世界4大文明の一つです。
エジプトが文明を築けたのは、人が集まり、大集落を作り、そこに大国家を作れたからなのです。
エジプトの場所も確認しておきましょう。
地名が出た時に、地図が頭に思い浮かぶと話が頭に入りやすくなります。私も場所がわかるようになってから、かなり歴史を覚えやすくなりました。
エジプトは古代から中世にかけて非常に重要な地域です。
旧約聖書の出エジプト記でモーセが海を割ったという話があります。
そのモーセが割った海は、エジプトの東にある紅海です。
エジプトはあとでたっぷりと出てきますので、場所だけ確認しておきましょう。
特に、地中海に面している、というのは非常に重要です。
エジプトとギリシャやイタリアって地中海を挟んで向かい合っているのです。
世界史が苦手な場合、この位置関係があまりつかめていないこと多いと思います。
地図は何度も出てくるので無理やり覚えなくても大丈夫です。
さて、エジプトと言えばピラミッドですね。
この記事は画像が少なめなので、息抜きに貼っておきましょう。
ちなみにピラミッドは日本で言えば古墳のようなものなので、大きなものだけではなく小さいものも含めてたくさんあります。またエジプトの歴史のところでじっくり見ましょう。
エジプトの人口を支えていたのが、ナイル川。このナイル川は定期的に増水して洪水が起こります。雨季によるものです。
ナイル川が定期的に洪水を起こすことで、土に微生物を持ってきてくれる。そうすると、土地が痩せることが無いから、移動をしなくても良いというわけですね。
洪水によって、上流の土や川の中にいる微生物が、その土地に栄養を与えるのです。
これこそがエジプトが大国となった原因である、と歴史学者のヘロドトトスが残しています。
灌漑農業(かんがいのうぎょう)の始まり
乾地農法もはさらに次の段階へと進化します。これが灌漑農業です。
簡単に言えば、人工的に水を供給する農業のことで、水をコントロールして農業をおこないます。
乾地農法では、水は雨に頼っているだけでした。つまり、雨が降らなければ最悪の場合作物が育たないということなります。
雨水に頼るだけの乾地農法では、そもそも作物を計画的に育てることができないわけです。
土に栄養を与える云々の話のその前に、水が必要なのです。
計画的に作物がとれない、つまり食料が計画的にとれない、となると人口を増やすことはできません。人口が増えるということは、それだけ食料が必要になる、ということなので、いつ食糧不足がおこるかわからない状態では怖くて人口を増やせないのです。
人口を増やすことができれば、それだけ働き手も多くなりますし、トラブルがあったときに交代人員を確保出来るので、ある程度の人数がいたほうが生存率は高くなります。
だから、人口を増やすために食料を計画的につくる必要があります。そのためには乾地農法・略奪農法から抜け出さなければなりません。
そのための第一歩として、水をコントロールする必要があるのです。
そこで、人工的に水を供給する灌漑設備を整えることで、水不足を解消しました。灌漑農業によって、収穫量は増大し、さらに多くの人口を支えることが出来たのです。
ものすごく簡単に言えば、川の近くに住んで、好きなときに水を引っ張れるような設備を作ろう、ということです。
下の画像は、パイプを使って水を畑に引っ張り込んでいますが、パイプの代わりに水路を作り、手作業で、水の出入り口をコントロールすればいいわけです。
集団の形成
灌漑設備を作るには、共同作業が必要となります。24時間水や畑の監視をしなくてはなりませんし、そもそも、水路をつくるためには多くの作業員が必要となります。
共同作業をするためにも、集団生活が必要だったのです。
最初の灌漑農業はメソポタミアで始まりました。
ティグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域で、いまのイラクにあたります。
メソポタミアとは川の間という意味です。場所も確認しておきましょう。
現代の地図で見ていますが、当然昔は現代とは違う国境ですし、国の形も違います。
ただ、世界史の学習をする上では、世界地図のどのあたりにあるか、というのを把握することが大事なので、これで十分です。
あとで、肥沃三日月地帯(ひよくみかづきちたい)でも出てきますので、イラクがどこにあるのか、を抑えておきましょう。左(西)にあるのが地中海です。
地図の位置関係を話すときには、上下左右ではなく、東西南北を使うようにしましょう。
ユーフラテス川の現在の姿もありました。
綺麗ですね。画像を多用するのも、そのほうがイメージに残り易いからです。
ユーフラテス川と聞いてこの写真を思い出し、あ、そういえばイラクだったなーと。
そうすると、メソポタミア地方を思い出して、さらにそこから色々思い出せると楽しくなります。
この雄大な流れは古代から変わらないわけで、この川を利用して古代国家が形成されたのかー、と思えたりすると、より楽しいです。
国家の形成
灌漑農業を始めると、計画的に食料をつくることができ、人口を増やすことができます。
人口が増えれば、色々な共同作業を行うことが出来るようになり、さらに集団を大きくすることが出来るようになります。
こうして集団が大きくなると、それはやがて国家と呼ばれるものになります。
ここまでをまとめると以下の通りになります。
- 食料を作り出すには、乾地農法と略奪農法では駄目。
- 乾地農法より、灌漑農業。さらに土には栄養を与える必要がある。
- 集団を作るには、その人口を支えるだけの食料が無いといけない。
- 集団が大きくなると国家が生まれる。
では、国家はどこに生まれやすいのでしょうか?
国家をつくるためには、集団をつくらなくてはならず、集団をつくるためには食料が必要で、食料をつくるためには、水が必要でした。
そう、川の近くです。灌漑設備を作るには当然水の供給源が必要ですし、土に栄養を与えるには、川の水を使うことが手っ取り早いからです。
だから、世界四大文明は川の近くで誕生します。
- ナイル川にエジプト文明
- ティグリス川とユーフラテス川の間にメソポタミア文明
- インダス川にインダス文明
- 黄河・長江流域に黄河文明
どうでしょうか?世界四大文明がなぜそこで生まれたのか?がわかると、忘れにくくなりますし、少し面白く感じませんか?歴史の出来事にはなにかしらの理由があります。その理由をじっくり追求すると面白みも出てくると思います。
大河ではない場所に発生したマヤ・アステカ・インカ文明
まとめ過ぎないのがコンセプトなので、これだけでまとめずに例外にも触れておきます。
マヤ・アステカ文明とインカ文明です。
これらの文明は、発生した時期は少し遅れますが独自に発生しています。
そして何が例外なのかというと、川の近くでは無いのです。
高原・山麓地帯に独自に出現した文明なのです。
すでに発生した文明の影響を受けて成立していればミステリーにはならなかったのですが、独自に発生しているのです。
場所も確認しておきましょう。
マヤ文明・アステカ文明は大体現在のメキシコあたり。
アステカ文明はメキシコの中央部(A)マヤ文明はメキシコ東南を含む地域(B)、です。
ただし、今とは国境も違うので大体です。
大事なことは、メキシコがどこなのか、を抑えておくことです。
余談ですが、私は最初、メキシコはアフリカ大陸の方だと思ってました。
いまは世界地図を描けます。凄い進歩です。
メキシコは米国の南部、アメリカと国境問題でいつも揉めています。
インカ文明はいまのペルーのあたりですね。
ペルーは南アメリカ大陸です。
国家誕生の条件としては集団を作らなければなりません。
集団を作るには食料が必要です。しかし、四大文明と違って川が近くにありません。
さて、どうするか。川が近くに無くても作れる食料があればいいのです。
その食料は、現代社会では欠かすことの出来ないものですが、何かわかりますか?
マヤ・アステカ・インカを支えた食物
水が近くに無くても作れる食料、それはトウモロコシとジャガイモです。
マヤ・アステカ文明を支えた食料はトウモロコシ。インカ文明はジャガイモなのです。
もちろん、生きていくために水は必要ですから、独自の灌漑技術も発達させました。
インカ帝国では、水を張り巡らせる水路のあとが発見されています。
詳細については、またアメリカの話になったら触れるとしましょう。
それにしても、キープの発明もそうですが、古代アメリカ文明は非常にミステリアスですね。
キープはインカ文明によって発明されたものです。
貧富の発生
文明が発展する段階で、宗教と交易の中心である都市が発生します。
宗教や交易があるということは、食料生産者で無い物がいるということです。
どういうことかと言うと、宗教があるということは指導者がいるはずです。
指導者も食料生産活動をするとは思いますが、それだけをやっていたら宗教指導者にはなれません。
宗教指導者の役割は、人々に心の安らぎを与えることだからです。
つまり、人々に心の安らぎを与える代わりに、食料を農民や牧畜民から分けてもらうわけです。
さらに、交易があるということは分けてもいい食料があるということです。
つまり、これらは余剰生産品なのです。
狩猟採集生活を送っていたら必要な分だけ採集すれば十分。
多少の蓄えもあったかも知れませんが、狩猟採集の対象は動物の肉や木の実ですから、長期間の保存は出来ません。もちろん、保存する技術もありません。
さらに食料を求めて移動を余儀なくされますから、たくさん蓄えたとしても持っていけません。
狩猟生活では基本的に、生肉や生の果実や木の実となりますので、腐りやすい。ところが、生産するとなると話が変わってきます。生産しているものは穀物ですから、そんなにすぐには腐らない。
たくさん作って、万が一の場合に備えるために、たくわえることが出来る。たくわえとは、すなわち富です。現代で言えばお金と同じです。
その余剰生産物で人をたくさん養うことも出来ますし、欲しいものはたくわえた作物と交換して手に入れることが出来ます。これが貧富の差です。人類が生産を始めたからこそ貧富の差が生まれたのです。
狩猟採集生活の段階では貧富に差はありません。
リーダーであろうと、年老いていようと、みんな狩りには出かけます。
その日にみんなで必要なものをとって食べる。こういう生活です。
階級の発生、そして歴史時代へ
そして貧富の差が生まれると、これが階級へと発展します。
食料をたくさん作り出し、たくさんの人を養えるようになる人も出てきます。
たくさんの人を養えるということはすなわち富を持つものということです。
そうすると、その富を求めてもっとたくさんの人が集まってきます。
こうして、人を使って食料を生産するという支配者階級が誕生します。
初期の段階での階級は、貴族(神官)・平民・奴隷、という階級です。
貴族や富裕層、そして神官。これらが支配者階級です。
さらに、交易や支配には記録が必要となります。
交易では、何をどの程度売買したのか?どのくらい儲かっているのか?を記録する必要があります。
支配するためには、政治の記録や被支配階級の状況を把握するため、記録をつけるのです。
その為に文字が発明され、人類史は歴史時代へと突入するのです。
本筋とは関係ない話
歴史上の出来事には必ず因果関係があります。
教科書は、この因果関係が深くまで書かれない。
だから、わかりづらくなってしまうのです。
なぜ因果関係まで書かないのか?それを書いてるとこのサイトみたいになるからです。
多分教科書10冊分では効かないでしょう。そんなものを読む気にはなりませんね。
ちなみに、今回の記事だけで原稿用紙12枚分はあります。大変な量です。
だからこそ、先生がいる。
先生の話をよく聞けば因果関係も話してくれているはずですし、もっと面白い話もたくさん知ってると思います。
少しでも興味があることがあったら、まずは先生に尋ねてみるのも良いのではないでしょうか。